「株式会社玉寿司」のビジネスモデルや知財を分析してみた
株式会社玉寿司(以下、「築地玉寿司」)について分析をしました。築地玉寿司は、2025年2月20日放送のテレビ東京の番組「カンブリア宮殿」で取り上げられました。本記事では、番組の内容に加え、各種の公開情報に基づいて築地玉寿司について私なりの考察をしました。なお、本記事では、敢えて「築地」玉寿司と呼ばせて頂きたく、その理由については商標の項で説明します。
会社概要
築地玉寿司は、寿司を提供する会社です。回転寿司と高級寿司の間、町寿司というジャンルです。回らないお寿司をリーズナブルな価格で頂けるのが特徴です。
築地玉寿司は、関東大震災の翌年の1924年に現社長の祖父・中野里栄蔵氏が創業します。その後、現社長の祖父・中野里こと氏が終戦後の混乱を乗り越え、現社長の父・三代目の中野里孝正氏が成長軌道に乗せます。三代目は、1971年に女性や一見客でも入りやすい、明朗会計で近代的和洋インテリアが特徴の店舗を銀座コア地階に開店し、その後、出店を加速します(第2期築地玉寿司のチェーン化)。現社長である中野里陽平氏が入社した当時、本業は順調そうに見えましたが、水面下ではバブル期の不動産投資で生じた78億円もの負債があったことが判明します。当時の会社の利益は年間2000万円ほどだったらしく、到底返済はできません。紆余曲折の末、2005年に、三代目の社長辞任、自宅などの資産の処分、年間利益を約7倍の1億5000万円まで伸ばす、などを条件とする再生計画により、負債の三分の一が免除され、中野里陽平氏が四代目社長に就任します。当時の稼ぎ頭の店舗が施設のリニューアルコンセプトと合わないとして契約更新をしてもらえず再生計画の前提が崩れるなどの逆境が続きますが、中野里陽平氏は、仕入れ改革を断行してコスト削減に取り組み、何とか踏みとどまります。そんな折、東京ディズニーリゾートのイクスピアリから出店の打診があり、中野里陽平氏は、自らの直感を信じ、銀行の反対を押し切って、打診に応じます。子ども向けメニューの考案などの施策も功を奏し、イクスピアリ店は大成功、再生計画で要求されていた利益目標も無事達成します。その後、10年で負債を返済し、直近では名古屋(令和4年、6年)や銀座(令和4年、5年)に年間1店舗くらいのペースでじっくりと出店されているようです。
築地玉寿司の経営理念を築地玉寿司のWebサイトより引用します。
業界
築地玉寿司は、外食(すし)業界に属します。会社四季報業界地図2025年版及び日経業界地図2025年版には、同業界として回転寿司チェーンを中心に記載されており、築地玉寿司については記載がありませんでした。
築地玉寿司の店舗数は32店舗、従業員数は570名(2024年12月)、売上高は約46億円(2024年12月)とのことです。比較対象として、「すしざんまい」でおなじみの喜代村は、店舗数が48店(2024年7月)、従業員数が1200名(2023年9月)、売上高が149億円(2022年9月期)ということで、規模感としては築地玉寿司の2~3倍くらいです。
ビジネスモデル
築地玉寿司のビジネスモデルを以下のビジネスモデルキャンバスにまとめました。
ポイントは、(1) 手頃で質の良い原材料の調達と、(2) カウンターに立てる寿司職人の養成、ということになろうかと思われます。
まず、(1) 手頃で質の良い原材料の調達については、提携先である総食から担当買付人が付き日本全国からコスパのいい海鮮ネタを仕入れられるうえ、食材全般を一括仕入できるためコストも低減できています。築地玉寿司が原価情報をどのように管理しているかは不明ですが、「かっぱ寿司」事件(参考:日本経済新聞「失ったキャリア「かっぱ寿司」事件)では、はま寿司の原価情報が不正に取得・開示・利用され、営業秘密侵害事件として民事・刑事両方で責任追及がなされました。町寿司の業態では、回転寿司ほどコストにシビアではないかもしれませんが、堅実に利益を確保していくうえで原価情報は欠かせない要素といえます。築地玉寿司としても、原価情報を営業秘密として管理し、保護していくことが望まれます。
次に、(2) カウンターに立てる寿司職人の養成については、玉寿司大学という養成機関を設け、新人を教育しています。教育期間の人件費は投資となりますが、うまく定着すれば収益の柱を安定的に作り出せることになります。出店計画と歩調を合わせるのは簡単ではなさそうですが、築地玉寿司では出張板前のサービスも提供しており、このあたりのバッファとしての意味もあるのかもしれません。また、通常3年(おそらく雑用込み)とされる教育期間を3ヶ月に集中させているので、カリキュラムを相当に作り込んでいると推察されます。原価情報同様、カリキュラムも営業秘密として管理する価値がありそうです。
知財
築地玉寿司の知的財産の保有状況について順を追って説明します。なお、知財について超ざっくりな解説が欲しい方はこちらへ
特許
特許について、調査時点で有効な特許権及び特許出願を確認できませんでした。ただ、失効しているものが2件あり、うち1件は三代目が考案したとされる末広手巻と思われる内容でした。出願時期からすると、考案時点(1971年頃)のものではなく、改良版でないかと思われます。
古すぎるためか図面等の情報は見られませんでしたが、特許請求の範囲として「全体に前部が拡開し且つ後部が縮小したテーパ状をなし、予め下味を施した菜葉を外周に巻装し、該菜葉に米飯を内装し、米飯内から前部に臨ませて適宜な具を配し、さらに具の近傍にペースト状をしたすし用のソースを添加したことを特徴とする巻きずし」と記載されていたことを確認できました。
築地玉寿司は、本特許権を、存続期間が満了する1997年7月まで年金を払って生かしていました。三代目は、本特許権に対して何らかの価値を見出していたものだと思われます。当時、どのように特許権を活用していたのか気になるところです。
意匠
意匠については、築地玉寿司の登録意匠を確認できませんでした。ちなみに、「すしざんまい」の喜代村も登録意匠はありませんでした。
今後、特徴的な商品形状や包装形状などを創作した場合に、これらについて意匠権を獲得する余地はありそうです。
商標
商標については、3件の商標出願と7件の商標登録を確認できました。築地玉寿司の商標の動向については、本業であるすし等(第30類)及びすしの提供等(第43類)を用途(指定商品・指定役務)としてブランド名やロゴについて押さえる、というシンプルなものと思われる、特筆すべき点はなさそうです。
一方、調査の過程で気になる点があったため、以降はその点について記載します。センシティブな内容であるため、主観はなるべく廃し、客観的な情報提示に止めたいと思います。
まず、「玉寿司」で商標検索をすると、2025年2月21日時点で12件の商標出願・登録が結果として出てきます。一覧をざっと見ていくと、「金澤玉寿司」という商標登録(登録6556706、登録6561433)があることに気づきます。
「築地玉寿司の商圏は、首都圏、札幌、名古屋等だったけど、今度は新たに金沢に進出するのかな?」、と思いきや、どうもそういうことではなさそうです。というのも、これら2件の権利者は「石川県金沢市」の株式会社玉寿司であり、築地玉寿司、つまり「東京都中央区」の株式会社玉寿司ではないのです。金沢の玉寿司は、1946年創業(参考:https://sushitama.co.jp/company/)とのことで、偶然、別地域に同じ名前で創業されたものとみられます。なお、両社のWebサイトを見ても、のれん分けや資本関係等のつながりはうかがえませんでした。ここまではよくある話です。
ただ、私が気になったのは、以下のロゴ商標です。
登録6561433
金沢の玉寿司
登録5060920
築地玉寿司
これらの商標をどう捉えるかは、読者にお任せします。なお、両登録商標は、用途の点では、金沢の玉寿司はすし等(第30類)であり、築地玉寿司はすしの提供等(第43類)であるため異なっていますし、外観上の相違点もあります。一方、参考情報として、築地玉寿司のWebサイトには、以下の情報が掲載されておりますので一読のうえ改めて両商標を観察してみるとまた違った印象を持つかもしれません。
なお、仮に商標自体に出所混同の可能性などの問題があったとしても、金沢の玉寿司の出願意図や経緯については想像することしかできません。杞憂であればいいのですが、鳥貴族vs鳥二郎のような状態に発展してしまっては需要者にとっても不幸です。私としては、今後、両社の商圏が重なった時に、健全な競争が行われることを祈るばかりです。
知財まとめ
知財についてまとめると、以下のことがいえそうです。
- 築地玉寿司は、三代目が考案した末広手巻に関する特許権を保有していた(既に失効)。
- 商標調査の過程で、築地玉寿司とは別に、金沢にも玉寿司が存在することが判明した。今後、両社の商圏が重なった時に、健全な競争が行われることを祈りたい。
まとめ
- 築地玉寿司のビジネスモデルのポイントは、(1) 手頃で質の良い原材料の調達と、(2) カウンターに立てる寿司職人の養成、にありそう。
- 今後、築地玉寿司と金沢の玉寿司との商圏が重なった時に、健全な競争が行われることを祈りたい。
参考資料
- 築地玉寿司のWebサイト
- テレビ東京「カンブリア宮殿」
- 日本経済新聞「失ったキャリア「かっぱ寿司」事件
- 東洋経済新報社「会社四季報業界地図2025年版」
- 日本経済新聞社「日経業界地図2025年版」